毎日Mac生活
毎日、小説を書いたり、noteにエッセイを書いたり。
そんな「書く生活」を始めて、もうすぐ8ヶ月になる。
これほど文字ばかりに向き合う日々は初めてで、いまだに少し不思議な気持ちだ。
けれど、そのおかげで、ちょっとした文章ならすぐに書けるようになった。
「書くことって、お金がかからないからいいよね」
そう思っていたのに、今年に入ってMacBook ProとiPad Proを買ったら、総額50万円を超えていた。
しっかりお金がかかっているし、人に気軽に勧められる趣味ではないのかもしれない。
でも、私はまったく後悔していない。
毎日、Macと語り合うように文章を書く。紙は一切使わず、私の机にはApple製品だけが並んでいる。
もちろん、Macでなくても文章を書くことは十分できる。
けれど、私はAppleじゃないと嫌なのだ。なぜって、美しいから。
無駄のない美しさ、シンプルなりんごマーク。
「あぁ、なんて美しいんだろう」
……美しいを連発して、ちょっとうざい?ごめんなさい。
でも、本当にそう思うのだ。
毎日使うものだからこそ、このシンプルで美しいApple製品じゃなきゃ私は嫌だ。
50歳を過ぎて、私はすっかりApple信者になってしまった。

上がMacBook Pro 下がiPad Pro。左がiPhone15Pro その上にあるのがAirPots pro。
実は、一番お金がかかったのはiPad Proだった。
なぜなら、2TBモデルを選び、さらにMagic KeyboardとApple Pencilまで揃えたら、なんとMacBook Proよりも高額になってしまったのだ。
2TBを選んだのは、「デジタルアートを学ぼう」と思っていたから。
けれど、ちょうどその頃にChatGPTで毎日のように画像生成を試していて、ふと気づいてしまった。
「……これ、描かなくてもいいんじゃない?」
そう思ったら最後、横着して、ほとんど描かなくなった。
だって、私が描けば幼稚園児みたいな絵なのに、ChatGPTが描くとまるでプロの作品。比べるまでもない。
結局、私はAIの恩恵をしっかり受け取ることにした。
Macを持ってるからといって、使いこなしているわけではない
実は、私は「書くこと」ばかりで、Macを本当に使いこなせているかと問われたら自信がない。
動画編集にも挑戦してみたけれど、それほど熱中できなかった。やっぱり一番ワクワクするのは、小説を書いているときだ。
そして書いたものをKindleにするまでの製本作業。Wordに文字を移したり、iPadで表紙を作ったり。大変ではあるけれど、不思議と楽しい。
ごく普通の主婦の私が「本を作る」。最初は右も左もわからず、ChatGPTに質問しては、一段一段、階段を登るように学んできた。初めての製本は丸一日かかったけれど、今では数時間でKindle出版ができるようになった。
信じられる? この私がだよ。そう思うと楽しくて、一日中Macを使ってしまう。
とはいえ、改めて言うけれど、まだ全然“使いこなして”はいない。MacBook Proが人間だったら、きっとこう思っているだろう。
「え?俺、こんな地味な仕事やんの?」
それでも文句ひとつ言わず、静かに私の命令を受け止めてくれる。——まあ、当たり前か(笑)。
Macとずっとずっと、暮らしていきたい。
もし将来、私が老人ホームに入ることになったら──そのとき持っていくのは、Appleの三種の神器だけだ。MacBook、iPad、iPhone。それさえあれば、あとはどうでもいい。服は安物で構わないし、食事に贅沢は要らない。
朝はWordPressやnoteにその日の些細なことを書き、昼はKindleで自分の小説を整え、夕方はイヤホンで好きな音楽を聴く。気が向けばiPadとApple Pencilで絵を描き、夜はまた文章を綴る。要は、一生何かを作り続けていたいのだ。
有名になりたいわけでも、モテたいわけでもない。ただ、自分の部屋にこもって、Macと一緒に静かに暮らしていければそれで十分だ。
安上がりでしょ? …って言いたいところだけど、たぶん私は違う。
きっと「買い替えはまだ早いかな」なんて慎ましい高齢者にはならない。むしろ逆。
「iPhone?やっぱり最新じゃなきゃ嫌!」
「Macも新しいのが出たなら、当然そっちでしょ!」
そんなわがままを平気で言うおばあちゃんになる気がする。
だって、MacやiPhoneに触れるとき、私はいつも「未来」に触れているような気がするのだ。
それは贅沢じゃなくて、生きていくためのエネルギーみたいなものだから。
終わり


少しは、いろんなことができるようにとMacのマニュアル本を読み込んで学びたいと思っています。