お盆がやってきた。
帰省ラッシュのニュースを見ながら、私は遠い夏を思い出す。
父の実家へ向かう車窓、揺れる稲穂、揺れない祖父母の笑顔。
蚊取り線香の渦、仏壇の明かり、夜の風。
今はもう失われたものたちが、心の奥で静かに息づいている。
祖父母は、昭和の戦争を生き延びた人たちだった。
満州で出会い、結婚し、父が生まれ、終戦。
祖父はシベリアに抑留され、祖母は幼い父を抱き、命からがらフェリーに乗って帰国した。
もしあの時、父が生き延びていなければ——私も、この世にいなかった。
そう思うと、あの時代を歯を食いしばって越えた二人への感謝が、胸に沁みる。
戦争世代には手厚い年金や医療があった。
それは慰労であり、同時に国の責任を問わせないための“沈黙の契約”でもあったのだろう。
祖父母の引き出しに積まれた湿布や軟膏の山を見るたび、そんな考えがよぎる。
——あの優遇は、「語らせないための装置」だったのではないか。
だが今、その契約はもう効力を失っている。
財政は細り、少子化で支える層は薄く、氷河期世代の疲弊が表面化している。
昭和のような分厚い支えも、高度成長の追い風も、もうない。
「今まで通りにお願い」と言われても、それは無理な話だ。
私が年金をもらう頃には、優雅な老後は望めない。
野草でも食べられるくらい逞しくなければ、生き延びられないだろう。
それならば——貧しさを笑いに変える知恵が要る。
ここから妄想入ります〜(笑)
生き延びるための妄想ノート
• 畑の草で短編を書き、Kindleで売る
• noteで「極限ミニマル生活」を連載する
• 台所の知恵や節約術をコンテンツにして売る
令和30年の私
市民農園で鍬を握る。気温45℃近く。汗が背をつたい、空気が重い。
鍬を置き、図書館へ逃げる。
涼しい館内で、恋愛小説を読むふりをして昼寝をするのが夏の習慣だ。
「今月の年金は三万円か」
専業主婦のまま引きこもり、年金があるだけ幸運かもしれない。
今日はあの辺に生えている草で草餅を作ろう。
今月のKindle小説は何を書こう。
前回はスワヒリ語(渋いw)の恋愛小説を書いたが、ロイヤリティは渋かった。
今度は日本人向けにしよう。
iPhoneに、こんなタイトル案を打ち込む。
Kindle副業 × 高齢化社会 × ちょい恋(70オーバー)
1. 『公園で出会う恋』
ベンチで毎日同じ時間に来る老人男女。
会話ゼロ。ある日、彼が来ない。静かすぎて切ない沈黙のラブ。
- 『畑でデート』
農業体験に来た主人公と、地元の寡黙な青年。
収穫祭の日、土にまみれた告白——「好きじゃないけど、また一緒に植えたい」。 - 『ミニマムトラベル〜近所のスーパーで生まれた恋〜』
特売コーナーで何度も鉢合わせる二人。
冷凍餃子越しに芽生える恋。 - 『イオンと私と草餅』
雨のフードコートで草餅を食べる女。
傘を持たない男。再会は季節のイベント。告白はない——草餅ふたつが答え。 - 『駅ビルの隙間から』
従業員通路でしか会えない清掃員と警備員。
「またすれ違ったね」から始まり、「来月から俺、フロア変わるんだ」で終わる。
どれを書き出そうか。
青葉は、ひとしきり考えた後、5. 『駅ビルの隙間から』のこの会話がリアルでよくない?と独り言をつぶやいてみた。
ジャンル名は「静寂系ロマンス」または「生活圏センチメンタル」。
派手さはないが、心に深く染みる恋。
この空虚な時代にこそ、“余白”が沁みる。
もしかしたら村上春樹の対抗馬になれるかもしれない——と青葉はほくそ笑む。
もっとも、Harukiより生活保護に近い場所で、だが。
そう考えて、ひとり苦笑いする。
「もう恋なんてしないなんて、いわないよ絶対」
昭和のあの時代の曲が今の私の脳裏にこだましていた。
——私がおばあさんになっても。
きっと、まだ何かを書いてる。
震える手でMacBookを打ちながら、恋のこと、生活のこと、言葉のこと。
けれど、その震えすら、生きている証のように思えた。
(続く)